小牧長久手の戦いは、秀吉の三河侵入を防いだ家康と、信雄に勝利して信長後継の地位を得た秀吉と、それぞれに意義があった戦いでした。 小牧長久手合戦図屏風 江戸時代中期 小牧長久手の戦い 布陣図 参考:りにもが見た小牧長久手の戦い 同じ3月15日、秀吉軍の 「池田恒興」 隊と 「森長可」 隊は羽黒砦に着陣。 しかし、この動きはすぐに家康に知られ、同日夜半、徳川軍の奇襲を受け、 「森長可」 勢の300余人が討死。 小牧長久手の戦いの後、三男氏郷(29歳)が近江日野から伊勢松ヶ島へ転封(加増)される。 1584年8月11日、大和国で筒井順慶が病死(36歳)。定次(23歳)が家督を継ぐ。 1584年9月23日、秀吉は秀次(16歳)に、小牧長久手の戦いにおいての訓戒状を送る。

小牧・長久手の戦い 戦争:小牧・長久手の戦い : 年月日:天正12年(1584年)3月-11月 : 場所:小牧山・長久手 他 : 結果:徳川・織田連合軍の戦術的勝利、 羽柴軍の戦略的勝利(美濃、伊賀、伊勢南部における織田信雄の影響力を排除) : 交戦勢力 羽柴軍: 織田信雄軍 【小牧長久手の戦い】池田恒興・森長可討死!家康、勝利するも無念の和議⁉ 2019.06.13 【賤ケ岳の戦い】秀吉vs勝家! 織田家継承はどちらの手に…? 2019.06.11 【山崎(天王山)の戦い】秀吉vs光秀 山崎で激突!天下はどちらに…⁉ 2019.06.10

小牧長久手の戦いの激戦地は今では平和な住宅街が広がっているが、今でも戦いの痕跡は見ることができる。 最後になりましたが、小牧長久手の戦い以降、秀吉は関白に就任して敵対する勢力をどんどん潰していきそして6年後には天下統一を果たしました。

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